コンシューマーゲーム機の誕生は任天堂ではなく実はアメリカの会社だった

コンシューマーゲーム機の誕生は任天堂ではなく実はアメリカの会社だった
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家庭用据え置き機はアメリカのマグナボックス社のオデッセイが発端

家庭用ゲーム機の発端は、1972年当時、家庭用のスピーカーや電子部品を作り上げていたマグナボックス社が作り出した家庭用ゲーム機オデッセイが家庭用ゲーム機を各社が発売する発端となりました。ちなみにオデッセイ、現在のゲーム機に採用されているコントローラーと異なるコントローラーを使用しており、ブラウン管にプレイするゲームのインターフェースシートというシートを張り付けることでゲームを可能とするなど、ボードゲームの延長線上だったのです。

劇的に家庭用ゲーム機が変化したのは任天堂のファミリーコンピューター

劇的に家庭用ゲーム機が変化したのは任天堂のファミリーコンピューター

オデッセイ以降、ゲーム機はカラー対応になり、今の家庭用ゲーム機のようにソフトウェアを自由に入れ替えることで異なるゲームを楽しめるというゲーム機が生まれ1976年はカラーゲーム機が主流となります。しかし、1976年代のゲーム機は高額で14万円という金額でした。それを打ち壊したのが任天堂のファミコンで1万4千円でゲーム機を売り出したのです。これ以降、オデッセイ2やアタリは高額でゲーム機を売ることが難しくなり、価格競争が激化したのです。

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